パンとサーカス


 詩人ユウェナリスが古代ローマ社会の世相を揶揄して詩篇中で使用した表現。権力者から無償で与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によって、ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを指摘した。パンと見世物ともいう。ガス抜きや愚民政策の例えとしてしばしば用いられている言葉である。(wikiより引用



 google、yahoo、youTube、twitter、、、、などなど。これらに共通するものは何か?と言えば、もちろん無料でアメリカ発ということである。我々は使う側だからそういう発想をしないかもしれないが、これらを立ち上げるときにどの程度のお金が必要か、一度考えてみて欲しい。例えばgoogleでは、何年間も収益がない状態にも関わらず、億単位の金が集った。

 もちろん、博徒の国であるアドバンテージはあるかもしれないが、それなりの論理を提示しないと、彼らも人である以上、ワケのわからないものにそうそう金を出すはずがない。もちろん収支の展望も示したろうし、自社サービスの魅力も示しただろう。しかし現在は、一昔前のアメリカンドリームなアメリカではない

 つまり、失うものはなかったあの時代ではないから必然的に考えは保守的になる。より確実なものに投資するようになるのが定石だろうと思われる。しかし、投資というのは未来に対して行われるものだから、実のところ確実なものは何もない

 古今東西、保守的になるということは過去に呪縛されることだろう。しかし、その説得に、共通する価値観をもったある集団の過去の成功例という双方が共有・共感する物語が提示された場合、呪縛された過去が、あたかも約束された未来への道しるべのように見えてくる。

 文化というものは、蓄積の上に成り立つ。そこに強固な土台がないと発展しえない。無論、僕は、そこからこぼれ落ちたものたちを愛してやまないのだが、この年になった以上もはや、それは甘えなのではないかと思い始めた。思うに、日本がこの業界で後塵を拝している原因は、技術力でも、想像力でも、学力でも何でもなく

古典が共有されていないことによる、美的感覚とスピードの欠如

なのではないかとさえ思う。

 先日話した外人。サラっとシェークスピアが出てきて、ちと悔しかった故。


雪山

2019年10月23日

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