ねじ曲がった武士道

「いつから武士道がねじ曲がったのか?」

「武士道」と言えば「隷属的な主従関係」と曲解されていることが少なくない。外国人だけでなく、日本人もそうらしいから始末が悪い。それが自分と関係ないところで行われている分には問題がない。しかし、ミクロなところではグループ単位の不和。マクロなところでは先の敗戦の一因と、それの傍観者であることは、どうにも不可能らしい。

「いつかまとめよう!」

と思っていたところ、そのものズバりの記事を発見した。未来の自分への戒めに、まとめてみようと思う。



「葉隠」の説く武士道を考える -「葉隠」武士道の犬死理論の陥穽-
http://www.st.rim.or.jp/~success/hagakure_ye.html
・そもそも武士の起こりは、荘園を守る従者である。盲目的な主従関係はない。ある種の契約がある。
・没落する主君につきあう必要はないし、自分も力をつけないと雇ってもらえない。
・主君が馬鹿な行動をとって負ければ、自分も終わる。だからこそ、命を賭けるような諫言にも及ぶ。忠義からではなく契約の精神からである。
・力がない主君に付いていれば、犬死にをする危険が常にある。
・「武士道とは死ぬことと見つけたり」で有名な「葉隠」の著者は、島原の乱以降の平和な時代に生まれている。
・日本人の美しい死を求める死生観(無意識)が、その部分のみに共振し、断章主義に陥った結果、あらぬ誤解を生んでいる。
・「葉隠」はただのコンプレックスの産物であり、時代錯誤の老人の叫びでしかない。事実、「狂死」だのなんだの批判しておきながら、自身は出家して大往生している。
・江戸時代に入り、競争社会でなくなった。契約的な主従関係が廃れた結果、こんなお説教が生まれてしまった。
・江戸時代の武士道は、後付け儒教精神に基づく、意図的になされた、幕府にとって都合のよいただの統治のための宗教的規範である。
・本来の武士道とは「何とか生き延びて、主君のために功を上げ、自身も出世をする」サバイバルの哲学である。相互扶助的な契約であり、盲目的な滅私奉公では決してない。




そもそも主従関係とは鎌倉以来、契約的なものである。隷属的な主従関係は、一見美しいかもしれないが、それはただの自己満足である。なぜならば、その被害が自分だけに留まらず、一族郎党全てに及ぶからである。主従というものは、同じ目的に向かって進むものだ。指針が変われば契約を破棄することも当然だし、崩壊の兆しが見えるようなら、諫言することが当然であろう。なぜならば「同じ目的をもつ」ということが主従関係の基本だからである。

であるならば、この「目的」を設定しないことには、主従関係は成り立たないことになる。「目的」を設定しない主従関係は隷属にほかならない。その条件が主君にすべて委ねられている状態だからである。まずはその目的を設定/開示することが必要であろう。そこからどのようなプロセスでどのような組織にするかは、基本的には伝統的な日本の会社と相違ないと考える。行政上の手続き。適切な内部の制度の設定。宗教的な儀礼。どれも過不足なく行われるべきものだ。

目的を設定しない状態での主従関係は組織の腐敗を招く。従者への評価の基準が、主君のその時々の状態(気分)に依存するからである。人は自分が思っているほど客観的にはなれない。だからこそ、名分化された法が不可欠だ。そして、その権威付けになにかしらの「宗教的な儀礼」が必要になる。伝統的な日本の会社に神棚があるのはそういうことだろう。つまりは客観的であるための「基準」であり、組織を強固な共同体とするための「軸」である。

もっともタチが悪いのは、この主君が盲目な場合。すなわち「自分は平等で皆のために献身している」と思い込んでいる場合である。それが人であれ、宗教であれ、自分以外に「多角的」に外部の規範をもたないと人は傲慢になるものらしい。それ故に「目的を設定し、共有し、契約していない」組織は、修復不可能な分裂騒動を巻き起こし、悲劇的な結果に終わるはずである。それぞれが無意識に自分の思い込みを、それが主君にであれ従者にであれ、それぞれに勝手に自己投影しているだけだからである。例えるならば「幼年期の恋」であろう。多くの場合、恋の対象はあくまで「自分自身」であって、凡そ、その対象ではない。

「恋」のようにそれが個人間に限定されるものならそれもよかろう。しかし、私たちが置かれている環境は、常に実戦の場であり、真剣勝負の場であり、所属している組織は言うに及ばず、いわんや先人たち、あるいは後進への責任を背負っている立場である。むろん容易に死に至ることはないが、武道において設定された実戦は、おそらくこの「日常」という「アタリマエ」に他ならない。普段稽古していることを試す機会は、断じて街の喧嘩などではないし、その目的は、断じて技術や体力、はたまた低次元な矜持を誇示することではないはずだ。

「武道」において独り立ちするということは、その日常のなかでもとりわけ「経営」という実戦を潜り抜けねばならない場合が少なくない。自身を磨き、制度をつくり、睦みあい、適切な距離を保ち、妥当な対価をいただき、またそれに感謝し、持続可能な組織を運営することである。なんのことはない。「アタリマエの普通の会社」に他ならない。そして、私たちは最低限、先人たちの残した遺産を後世に受け継ぐ責任がある。おそらくそれ以外に、先人たちに「恩返し」する方法はない。

「稽古」とは本来、「古(いにしえ)を稽(かんが)える」という意味らしい。昔のことを調べ「今、成すべきことは何かを正しく知る」ということだそうだ。しかし

その正しくとは何なのか?

おそらくそれを問い続けることが「稽古」なのであろうし、管理する側は、皆がそれを問い続けることのできる環境を、循環する持続可能な形で整備することが、最低限でありかつ最大限の責務なのだと思う。

ちなみにこの誤解がなぜ現代にまで広く認知されているのか?という点については、敗戦後、復員した兵隊に体育教師をまかせたから、、、と聞いたことがある。昭和のスポコンがその成れの果てらしい。確かに戦時中のダメだった部分と同種の臭いがする。戦略の設定と実行が不徹底。いきあたりばったりの作戦とは呼べぬ作戦。挙げ句の果に精神論。もちろん全てが悪というつもりはないし、そこになんらの美しさもないわけではない。しかし負けたのだ。決定的な事実として、その方法論は最悪に近い悲劇的な結果を招来した。

私自身を突き動かす何者かを擬人化したならば、おそらくこういう人たちであろう。例えば南方の戦地で、武器もない糧秣もない医療もない。ただのなぶり殺しの極限状態におかれ、指揮官の無能さを慟哭しながら死んでいった、、、とある名の無い下級将校のような。

2024年12月10日

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