再録シリーズ:終戦のエンペラー

 「立憲君主」の始まりは、一般的には、17世紀イギリスで行った「名誉革命」が発端ということになっている。議決を無視した王の横暴を封じ込める為に法を制定し、王の権力を法律下に封じ込めるために成立したらしい。

 果たして戦前の日本、とどのつまり大日本帝国憲法は「立憲君主制」か?ということについて、参考にした当時のドイツの憲法がそうだったから、、、いや、実際には強大な権力があった、、など様々に言われているようだ。ただ、当の昭和天皇自身は、勤めて「立憲君主制」の王として振舞おうとした。

たとえ政府が決定した意見に反対であれ、基本的には全てイエス。和歌で感想を間接的に述べるのみで、積極的に自分の意見を主張することはなかったらしい、、、2.26事件と敗戦時以外は。

 日本国内の「戦前は立憲君主制だったか?」という議論は、結局のところ「昭和天皇に戦争責任があったからなかったか?」という部分で意見が分かれている模様だ。「専制君主」であれば責任があるし、「立憲君主」であれば責任はない。もっと言えば、どうしても昭和天皇を処罰したい人、とそれから守りたい人が、分かれて意見を言い合っているだけのように見える。

 どうも最近はこういう見方に違和感を覚える。そもそも「立憲君主」が成立するためには、「専制君主(独裁)」が存在しなければならず、日本の歴史を見渡すと、そんな例はほぼ皆無に等しい。だいたいのところ、この「専制君主(独裁)」が成立するためには、一神教の存在が不可欠なのではないか。なぜならば、ヨーロッパの王は「神から国王に授けられたもので、その権力は神聖で絶対的なものである」という形で、権威と権力を神に担保されていることに由来するからである。従って「昭和天皇に戦争責任があるか否か?」ということに「立憲君主」や「専制君主(独裁)」を持ち出すことは、どうも

「 も の さ し で 体 重 を 量 る 」

レベルの馬鹿馬鹿しい話に聞こえる。

 そんなわけで「終戦のエンペラー」の主題はここにフォーカスする形のものである。言うまでも無く、昭和天皇とマッカーサーとの会見がクライマックスに描かれる。ただここをクライマックスにするならば、史実の通り、マッカーサーが「昭和天皇に否定的」だったことを描かねばならないはずなのだが、そこが弱い。それ故に感動が多少薄れる。それでも、ウルっと来てしまったが、この映画、アメリカで作っているから、、、という色眼鏡で見るとちと違う。おそらく「アメリカで日本の市場のみを狙った低予算映画」と捉えたほうが正しいんでないか、、、と予想する。

 「昭和天皇に戦争責任があったからなかったか?」については知らん。ただ少なくとも、マッカーサーとの会見の時点で、私たち日本国民すべてのために、自身の命を捨てておられるのは事実であろう。その後の行幸でも、再、再、再再再再再再度、命を捨てている。



ローマ大帝国も、ナポレオンの国でさえも、一度戦いに負ければ亡びている。私の国のカイゼル陛下にしても、また生前中は神の如く慕われていたヒットラーも、イタリアのムッソリーニも、戦いに負けたらすべてそのまま残ることはできない。殺されるか、外国に逃げて淋しく死んでいる。だから日本の天皇も外国に亡命すると思っていた。

しかし、そんなことは聞かない。だからすでにこの世におられないと思っていた。ところが最近、日本から来た記録映画を見て驚いた。天皇が敗戦で大混乱の焼け跡を巡っておいでになる姿である。

しかも、二年もの長い間、北の端から、南の端まで、焼き払われた廃墟を巡って、国民を慰めておられる。陸軍も海軍もすでに解体されているのに、一兵の守りもないのに、無防備のままで巡っておられる。

平穏無事なときでも、一国の主権者が、自分の国を廻られるその時には、厳重な守りがなされている。それでも暗殺される王様や大統領がある。それなのに一切の守りもなく、権力、兵力の守りもない天皇が日本の北から南まで、焼き払われた廃墟を巡る。国民を慰める。

何という命知らずの大胆なやり方であろうか。いつどこで殺されるか。こう思って映画を見ていた。

しかし驚いたことに、国民は日の丸の小旗を打ち振って天皇を慰めている。こんなに美しい国の元首と国民の心からの親しみ、心と心の結び、これはどこにも見られないことである。われわれは改めて、日本を見直し、日本人を尊敬しなければならないと思っている。



日本には、高尚な思想も倫理も存在しない。そりゃそんなもなぁ必要のない素晴らしい社会だったからだ!と本居宣長が言ったのかどうかは知らないが、結局のところ、全国への行幸を熱狂のうえに無事終えたこの現実が「昭和天皇の戦争責任」を物語っているのではないか、、、と、僕は考えている、、、、という意味では、徹頭徹尾、状況論理であり、多神教の良いところも悪いところも、未だ、、、、、というのは、未だ抱えている問題ではあるかもしれないが。

2025年02月26日

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