まえがき

青少年の「精神の荒廃!」とは久しく聞く言葉ですが、統計上は少年犯罪は増えるどころか減っているようです。もし増えているように感じるならば、ただ報道が増えている、、、もしくはそれらをセンセーショナルに報じている、、、ことの結果のようです。

しかし、青少年の「精神の荒廃!と犯罪率に相関は無い」模様です。「精神の荒廃!」とは精神が正常でない状態なわけですから、なにがしかの「精神疾患を抱えている状態。ないしはその予備軍」のことであろうと思われます。もし「精神の荒廃!と犯罪率に相関」があるならば、少年犯罪は減少しているわけですから精神疾患を抱えている人も減少しているはずですが、統計上は増えています。

では「青少年の精神の荒廃!で何か困るのか?」といえば「自殺の要因として特に重要(by 厚生労働省)」ということだそうです。「自殺率の推移」を調べた限りではバブル崩壊以降、上昇傾向にあったようですが、最近では減少傾向にあるようです。厚生労働省の対策の効果なのかもしれません。

そんなこんなでいきなりの重い問いかけ!「自殺の何がいけないのか?」ということですが、これについて明確に答えられる人は多くはないと思います(もちろん、僕も含めて)。代表的には「〇〇が悲しむから」「〇〇に迷惑がかかるから」などが挙がるのではないかと思いますが、これらはただ「なんとなくそう思っているから」の証明であって、それ以上ではありません。

なぜならば「〇〇が悲しまなければ?」「〇〇に迷惑がかからなければ?」等、それらをひっくり返せば瞬時に成り立たなくなる論理であり、その論理を担保する(例えば罰のような)心理的な抵抗もたらす何物をも背後に存在していないからです。

こういうものに対して、かつての西洋の人々はそれこそ「神」を持ち出して、現代の僕たちよりも簡単に答え得たのではないかと思いますし、おそらくは戦前の日本の人々も「神話」をひきあいに、簡単に答え得たんではないかと思います。

では「戦前の教育に戻せば」それらにも明確に答えられ、自殺率も低くなり、理想的な社会になるかと言えば、無論、コトはそんなに単純ではない。幕末から現代に続くグローバルに開かれていく世界の中で、それが

「思想的に対応しきれなかった」

ことが、先の敗戦の根本に横たわっていたのではないか?と考えているからです。そしてもちろん。敗戦を機に「戦前を否定」して戦後は始まっています。

古今東西程度の差こそあれ「政体の変化は前時代の否定」を伴います。明治においても「野蛮!」ということで江戸時代を否定し、その余波で武道も無くなりかけたわけです。現代の僕たちが武道に触れることができ、現代スポーツとはどこかしら違う身体の動かし方を体験することができるのも、加納治五郎や武田惣角をはじめとする「先人達の尽力の結果」にほかなりません。

そのように、後になってその価値が再発見されることは往々にしてあります。僕たちは武道でまさにそれを体験しているわけです。そういうことから考えると、僕たちは戦前のあらゆることを

「少し雑に扱いすぎているんじゃないか?」

と感じています。おそらくは戦前の悪かったことを挙げることはできても、良かったことを挙げることができる人は多くはないでしょう。

仮に僕が戦前の人間で、その死後に現代を覗いてみることが可能であったならば、、、一生懸命がんばったのに悪人扱い、、、誰も知りもしないし興味もない、、、。崇徳天皇や菅原道真、橘逸勢(ちなみに下桂御霊神社の御祭神)の例を出すまでもない。断言します。

「100%祟ります。」

そういった意味で、そういうものがあるかどうかは別問題として「鎮魂」の意味からも、そこに大切なものを置き去りにしてないか?という「反省」の意味からも、戦前のことを語り継ぐことは有意義であると考えています。

そういうわけで、そういうことをたまには書こうと思います。

はい。いつもの「企画倒れ」に終わらないことを、僕自身が切に願っております(*_*;

雪山

2019年02月22日

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