縣居神社(あがたいじんじゃ)

先日、縁あって養神館静岡支部の水野先生のもとにお邪魔してきました。少年部の指導に関して今まで以上に責任を感じるようになったためです。なにをするにしてもまず「いろいろなものを見ておくべき」であろうと、日帰りで視察させていただきました。水野先生には大変良くしていただき、先生のご人格の結果であろう雰囲気のよい道場で、有意義な浜松訪問となりました。

ついでに行ってきたのがタイトルの「縣居神社(あがたいじんじゃ)」です。ご祭神は「賀茂真淵(かもの まぶち)」。江戸時代に勃興した「国学」の大家です。



中国の儒学が徳川幕府の官学となり、世の中が中国思想で覆われていた時代に生まれ、日本の国柄を明らかにし、これを護るのが国民の努めであると唱導し、自ら進んで国学の開拓に一生を捧げた賀茂真淵大人命は、その学徳で永く国学の四大人の一人として後世に輝いております。
http://shizuoka-jinjacho.or.jp/shokai/jinja.php?id=4414023



現在では当たり前に読むことができる「万葉集」「古事記」等ですが、江戸時代当時、すでに読めなくなっていたようです。なぜならば、それらは奈良時代(平仮名のできる前)に編纂されているため、文字は「万葉仮名」。つまり当て字です。
そら~、

愛羅武勇 夜露死苦
(アイラブユー ヨロシク)


とか言われても、一般人には意味不明なわけです。

大雑把に言えば、そういうものを読めるようにしたのが、ご祭神の「賀茂真淵」たち「国学の四大人」。たとえば「ウルトラマン・仮面ライダー」などが生まれた戦後の高度成長。たとえば「モボ・モガ」の大正ロマン。賀茂真淵が活躍した元禄もいわゆる「好景気」な時代。人は景気がいいと暇つぶしにいろんなことを考えるようです。

ともあれ、その「万葉集」。研究してみると、上は天皇から下は乞食まで身分を問わず掲載(和歌の前の平等 by 故 渡部昇一先生)されていたわけです。これ。どうにも不可思議なんです。

当時の権力組織である貴族に、なんのメリットはあったんでしょうか?

穿った見方をすれば「統治のためのガス抜き」でしょうが、やろうと思えば奴隷的に使役することも不可能でなかったはずです。また書かれていたのは「江戸時代には、既に読めなくなっていた万葉仮名」です。どうも役人が口述筆記で提出したとか、庶民にも万葉仮名が読み書きできる人がいたとか言われているようですが、そもそも

最下層の乞食でさえ、歌を詠む習慣があった

という事実をどう解釈するのか?ということです。しかもですよ。その乞食の歌の一首は、

(大意)何で召されたのだろう、歌を歌う為か、笛を吹く為か、琴を弾くためか、とにかく承ろう、と明日香に着いたら縄で括られ塩漬けにされ、天皇にご賞味されてしまった
http://www.nunato.com/nara2-05.htm

だそうです。この現代語訳が正しいとするならば、れっきとした権力批判です。つーか、なんでわざわざそんなものを掲載したんでしょうね?しかも、何世代にもわたって編纂された形跡があり、削除するタイミングは幾度もあったはずです。謎です。
まぁ、乞食といっても芸人の類らしい、、、と言われているようですね。

兎にも角にも「賀茂真淵」。期せずして「令和」の直前に、その引用元である「万葉集研究の第一人者のお社」に導かれるように伺ったわけです。この強烈なご縁を宿したお守りが一つ余ってます。ご体験の方、先着1名様にプレゼント!そういう高尚な趣味をお持ちの方(!)がいたらご一報ください。でも2回来ないと貰えません(涙

ちなみに他の国学の三大人は以下。それぞれの神社のご祭神となっております。

荷田春満:東丸神社(京都 伏見稲荷内)
本居宣長:本居神社(三重県 松坂)
平田篤胤:平田神社(東京 代々木)

雪山

2019年04月22日

  • line

戻る